映画「キリング・フィールド」をもう一度レビューしてみる
2006-03-16


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以前、ムービーバトンで、一番好きな映画は「キリング・フィールド」と書きました。
この前の日曜日5年ぶりに、この映画を見ました。
オリジナル・ビデオを持っているのでいつでも見ようと思えば見ることができるのですが、「STAR WARS」や「宮崎駿作品」ように気楽に見るという映画ではないので、その気になる必要があります。
今日は映画レビューと、それにまつわる本などについて書いてみようと思います。

主人公はシドニー・シャンバーグ・・・ニューヨーク・タイムス記者。そして助手を務めるカンボディア人のディス・プラン、実話に基づいた2人の物語。
1980年1月20日、ニューヨーク・タイムズマガジンに掲載されたシドニー・シャンバーグによる「ディス・プランの死と生」、これが映画の原作です。

舞台は1975年のカンボディア。
カンボディア内戦終結に向かっていく混乱の時期です。
アメリカ人記者のシドニーは、助手のプランとともにカンボディア内戦の取材を続けていました。プランの力もあり、次々とスクープをものにしていきます。
1995年4月に内戦終結。

そしてクメール・ルージュによる虐殺がはじまります。
外国人の国外脱出で、シドニーやカメラマンのロッコフたちがプランを英国人として出国させようとパスポート偽造の必死の工作をしたが、最後の頼みのプランの写真が黒くなってしまい脱出できなかったときの衝撃。
プランが雨の中を泣きながらフランス大使館から出て行く時のやるせなさ。

シドニーが、アメリカで最優秀記者で表彰されたとき、会場のトイレで、ロッコフが「おまえの名誉のためにプランを引き止めた、もっと早ければプランを国外脱出させることができるはずだった。」と責めるシーンの悲しさ。
式の後、シドニーが自宅でカンボディアのニュースビデオを見るシーンでバックに流れる「トゥーランドット」のせつなさ。

ポルポト支配の村で、身分を隠して生き延びようとするプランとクメールルージュによる虐殺のシーンの重苦しさ。
村を脱出し、虐殺された白骨が延々と捨てられている「殺戮の野(The Killing Fields)」を歩いていくプランの絶望。
そして最後のタイ国境脱出のシーンで、赤十字のテントが見えた時の安堵感とプランの表情、そしてシドニーとの再会・・・
“Forgive me”とシドニー。“Nothing to forgive you, nothing”と笑って首を振るプラン。そこには、すべてを超越した友情のみが存在していました。
再会は1979年の秋・・・4年の月日が流れてました。

インドシナ紛争(ベトナム戦争、カンボディア内戦、ラオス内戦)を題材とした映画は「地獄の黙示録」「プラトゥーン」「フルメタル・ジャケット」など多くの大作がありますが、この映画は、それほど知名度があるわけでありませんが緻密な構成とストーリーテリング、ノンフィクションなので当時のカンボディアの混乱状況を丁寧に表現している・・・秀作です。

この映画は、アカデミー1984年度作品賞などにもノミネートされ、プランを演じたカンボディア人のハイン・S・ニョールが助演男優賞のオスカーをとりました。
彼の鬼気迫る演技を見ると当然かなという気がします。
(ちなみに1984年のアカデミー賞作品賞は「アマデウス」)

実はハイン氏は祖国カンボディアでは医者で、カンボディア大虐殺を生き延びたひとりです。
オスカーをとったときも、俳優でなくアマチュアがとったと話題になりました。
彼の手記「キリング・フィールドからの生還」(1990年 ロジャー・ワーナー著 光文社 絶版)を読むと、それはプランの脱出行そのものです。
そしてポルポト政権が、原始共産制という信じられない恐怖政治を行い、知識人と呼ばれる人達が虐殺されていったこと・・・まさにキリング・フィールドです。

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