偽書「東日流外三郡誌」事件
2010-02-06


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青森県五所川原市にある一軒の茅葺屋根の家からこの話は始まる。
1970年代半ば、この家の屋根裏から長櫃が落ちてきて、その中には数百冊の古文書が詰まっていた。それが後、世間を騒がせることになる「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)である。

この古文書は、前九年の役で滅ぼされた安部氏の子孫といわれる中世津軽の豪族であった安東一族の歴史や伝承を書き留めたものであり、江戸時代に編纂され、明治時代になって書き写されたとされている。
それが昭和も後半のある日、天井を突き破って落ちてきたのである。

この古文書をめぐり周辺の市町村や人々が架空の歴史や神に振り回され、その終結までの記録が、この本「偽書『東日流外三郡誌』事件」(斉藤光政著 新人物文庫)である。

斉藤氏は、東奥日報の社会部記者であった1992年に一件の民事訴訟の取材で東日流外三郡誌と関わることになる。
その訴訟とは、大分県別府市在住の歴史家が、古文書の発見者、和田喜八郎氏に対して自分の研究を東日流外三郡誌に盗用されたたことによる損害賠償請求訴訟である。
なぜ明治時代に書き写された古文書に、現在の歴史家の研究が盗用されているのかという取材からこの事件がとても大きくなっていく。

斉藤氏が関係者に取材を進めていくうちにこの古文書が「偽書」であることが明かになっていく。
紙の質や墨の年代、筆跡鑑定、表記について明らかに昭和になってから書かれたということが証明されていくのだが、和田喜八郎氏や古田大学教授をはじめ「真書」派が「真実である史料が発見された」と公表するごとに真偽論争がますます複雑になっていく。
その史料が偽物だと鑑定される次の史料が発見されるといういたちごっことなる。
ある村では村史の中で東日流外三郡誌を引用してしまい正史としたことによる困惑、ある神社は和田氏がご神体として持ち込んだ像を神として奉り、信徒を含め祭事を行ってきたが、それが真っ赤な偽物であった悲劇、この偽書を巡って次々と事件が起こる。

中央から抹殺された東北の知られざる歴史にロマンを感じるのか、この偽書を題材に多くの小説も書かれた。判官贔屓というかこういう歴史にロマンを感じて「真実」であってほしい願う人たちを含めて論争が激しくなっていったこの時期、当の和田喜八郎氏が1999年に亡くなってしまった。このことにより和田氏の本心は永久にわからないままとなってしまい、真贋論争は決着のつかないまま年月は経っていった。

そしてこの訴訟の最高裁の判決、原告の勝訴という結果となるのだが、古文書の真偽に関しては触れないという双方にとって曖昧な結末となってしまう。

斉藤氏は、真書派からは、偽書派の急先鋒として非難を浴びることになるが、地元紙の記者としての使命、そして最初から関わった事件を見届けるために11年の長きにわたり取材を続け、その記録をまとめたのがこの本である。

なぜ戦後最大の「偽書」が生まれて、なぜこれほどまで広まったのか、東北人の気質なども含めて東日流外三郡誌を知らなくても十分に面白く、そして著者の地元紙記者としての誇りと矜持を感じることのできる良質のノンフィクションである。

久しぶりにページをめくる手が止まらなかった面白い本である。
[本箱]

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