『旅行人』の休刊と若者の旅離れ
2011-12-06


12月1日発売の『旅行人』という雑誌が、この号で休刊となった。
雑誌の休刊は、雑誌受難のこの時代、特別珍しいことではい。
ただ、この雑誌の休刊(実質は廃刊)は、若者の海外旅行の一つの旅のスタイルの終わりを象徴していると考える。
いい機会でもあるので、若者の海外旅行離れと絡めて、私の考えていることを書いてみる。

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この雑誌は、イラストレーターの蔵前仁一氏が、1980年代『遊星通信』という海外旅行の口コミ情報やレポートを集めたミニコミ誌を発行したことに始まる。その後、蔵前氏が長期の旅に出て、帰国後『旅行人』と改め発行し、その後、有限会社「旅行人」を設立し商業雑誌として出発した。

この雑誌が創刊された1980年代半ばは、「自分探しの旅」と称して、若者が、夏休みや春休み、卒業旅行などを利用して海外を長期にわたって旅することが当たり前になってきた時代であった。

そのような時代背景のなか、この雑誌は、バックパック・スタイルで海外を長期にわたって旅をする若者や旅好きから支持された。
当時このようなスタイルの雑誌は少なく、新しい旅の情報が載っていることもあり、順調に発行部数も伸ばしていった。
そして、旅行者が自分の体験を投稿し、それを読んだ読者が旅に出るというサイクルでさらに読者を増やしていった。
この雑誌に投稿や執筆していた者で、力を認められ商業紙にデビューした作家、マンガ家やイラストレーターも現れた。

また、月刊誌でありながら年11回の発行という変則的なスタイルを取っていた。それは蔵前氏自身が旅に出るため、それが年1回、1ヶ月ということで、その月は発行しないというのが理由という旅人らしい雑誌であった。

『旅行人』以外でも、海外旅行者が増えるのと比例し「海外旅行記」というカテゴリーの書籍がプロ、素人問わず数多く出版されるようになってきた
まさに玉石混淆であったが、書店の棚を占有するようになってきたのである。

テレビでも海外の旅番組が数多く作られゴールデンタイムにオン・エアーされていた。
とどめは1996年の「猿岩石」の旅である。
ユーラシア大陸をヒッチハイクしイギリスまで行くという旅は、ビンボー旅行を映像化し、それを視聴者は居心地の良い茶の間から一種のショーとして見るという内容であった。それは社会的ブームを巻き起こし、帰国後、出版した『猿岩石日記』が100万部以上売れたである。これがバックパック・スタイルの旅のピークであった。

この時期、もう一つの旅のスタイルが生まれた。それは空前の円高をバックに若い女性を中心とした「買い物ツアー」である。
バブルがはじけた後も、1ドル80円を切るという円高が続き、香港やシンガポールで「買い物」をすることを目的として海外旅行をする若い女性が増えていったのである。

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社会学者の山口誠氏は自書『ニッポンの海外旅行』(ちくま新書)にて、買い物ツアーを以下のように解説している。
「買い物ツアーは、円高のメリットを享受し、その土地の文化や歴史とは関係の無い消費が目的の旅行である。そのことにより海外旅行は、一生に一度のイベントから、国内旅行より安く、何度もリピートする旅へと変質していった。」

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